千歳雑学

ご存じのこととは思いますが、千歳に関わることを少し紹介させて頂きます。

 

千歳川

千歳川の旧名はシコツ川。[シ・コツ]はアイヌ語で「大きな・凹地」の意味です。シコツの音感が死人の骨を連想させるので縁起が悪いとの申し出を受け、時の箱館(函館)奉行羽太正養が千歳川と改名したことから、後に流域一帯が千歳の地名になりました。

文化2年(1805年)のことです。

命名の由来は、当時千歳川流域に鶴が多く棲息したことから、鶴は千年の故事に倣ったものです。

 

千歳サケのふるさと館(インディアン水車公園内)

千歳川の中を直接見ることができる日本初の河川水中観察室です。

総水量266tの淡水では日本最大級の水槽に、サクラマス、イトウ、シロチョウザメ等が悠々と泳いでいます。鮭や淡水魚の生態を楽しく学ぶことができます。

 

鮭のいろいろな呼び名

ケイジ 2~3年の未成魚で、1/5000~1/10000尾の割合で漁獲され、幻のサケとも言われます。脂がのって大変美味な高級魚。
トキシラズ 5~6月頃捕獲される産卵回遊索餌中のサケ。
メジカ 0~12月頃捕獲される産卵回遊索餌中のサケ。産卵が近づくとサケの体刑が変化しますが、産卵1~2ヶ月前の目と鼻の間隔が短い状態のサケを指します。
ギンケ 産卵のため接岸したサケ。
ブナケ 河川にそ上、又は、その直前で体に縦縞の模様が付いたサケ。縞模様がブナの木に似ているため。
ホッチャレ 産卵後のサケ

 

シコツ越

  千歳川は昔、日本海と太平洋を結ぶ重要な交通路でした。

道路が未発達だったので、石狩川・千歳川~美々川・勇払川のルートを四日ほどかけ人や物が行き来しており、千歳川と勇払川の間の陸路がシコツ越(後に千歳越)と呼ばれていました。荷物を持って小高い丘を越えるためこのルートの難所だったのでしょう。寛文9年(1669年)の記録にすでにこの道順が記録されています。

  後に、勇払場所請負人山田文右衛門が牛馬車を通すように道路を整備し、物資の輸送を試みました。安政5年(1858年)銭函~千歳間の道路が作られてから、次第に物資の輸送が陸路に移っていきました。

 

インディアン水車(捕魚車)
 明治29年、千歳川にはじめてインディアン水車が設置されました。

それまでは、ふ化場前でウライ漁法により鮭を捕獲していましたが、下流での密漁が激しく、千歳橋の上流、青葉公園下の捕獲場を移し水車型の捕漁車を設け、そこに鮭を導くように竹柵で川を遮りました。

伊藤一隆(北海道庁初代水産課長)の米国漁業調査復命書にある図を参考に制作したもの ですが、極寒時に車軸が凍り動かなくなったため中止しました。翌30年、千歳橋の下流でも密漁者が横行するので現在地に捕獲場を移し、車軸が凍りつかないように流水をすくい上げ軸に常時水をかけるように改良しました。この改良で水車の回転数が落ちましたが結果は良好で、一日1,000尾以上の鮭を捕獲したと言われています。

この捕魚車はいつしかインディアン水車と呼ばれるようになり、そのユニークな漁法が人気を呼び、全国から多くの観光客が訪れています。

 

千歳の大きさ

広さ

北海道の約1/130で、東京都の1/4強、神奈川県の約1/4の広さがあります。

(東京都が広さ約2186平方キロメートル、神奈川県2413平方キロメートル)

広がり

東西57,2km、南北30,4km

東西の距離は高速道路の千歳インターから札樽道の銭函までとほぼ同じです。

隣接市町村

3市5町1村

苫小牧市、札幌市、恵庭市、由仁町、追分町、白老町、長沼町、大滝村